クルド人 もうひとつの中東問題 川上洋一 集英社新書 ★★★★☆
クルド人は不幸な民族である。
国家をもたない最大の民族といわれ、その数は2千万人とも3千万人ともいわれる。中東ではアラブ、トルコ、ペルシャに次ぐ大民族だ。
クルド人の住む土地、クルディスタンはフランスにも匹敵する広さをもつ。しかし、クルディスタンはトルコ、イラク、イラン、シリアに分割され、そのいずれの国からも迫害されてきた。
クルド人の正確な人数がわからないのは、信頼できる統計がないからである。そもそも、最大のクルド人口を擁するトルコにおいて、「クルド人」という民族は存在しないことになっているのだ。
彼らは歴史上、1946年に11ヶ月だけイラン西部に存在した「マハーバード共和国」を除き、独立国家をもったことがない。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
「クルド人」という概念は、20世紀初頭までは存在しなかった。
彼らの多くが住むオスマン・トルコ帝国では、多種多様な言語を話す諸民族がモザイクのように入り混じって共存していた。多くのクルド人がオスマン帝国の中枢で活躍していた。
クルド人の社会は部族社会だから、アイデンティティーはどの部族に属しているかということだった。クルド人とはクルド語を話す部族のことに過ぎず、クルド人をひとまとめにして考えることはなかったし、その必要もなかったのである。
ただし、クルド人はサファビー朝のペルシャにもいた。オスマン帝国とサファビー朝はつねに領土の奪い合いをしていたから、いつも戦闘に駆り出されるのは両者のはざまにいたクルド人の戦士だった。
第一次大戦では、数多くのクルド人がオスマン帝国軍として戦った。1915年のアルメニア人大虐殺にもクルド人が荷担させられた。
英・仏・伊・露などの連合国に敗北を喫したオスマン帝国は、列強に「分割」されることになった。
中東問題の諸悪の根源は、英仏をはじめとするヨーロッパ列強である。彼らが中東にヨーロッパ式のナショナリズムを持ち込んだことで、それまでにあった秩序をめちゃくちゃにしてしまったのだ。
1920年のセーブル条約では、クルド国家の樹立が明記されていた。
セーブル条約はトルコにとって非常に過酷なものであり、その領土は大幅に縮小されるはずだった。しかし、ここでうまく立ち回ったのが「トルコ建国の父」と呼ばれるケマル・アタチュルクである。ケマルは、セーブル条約を破棄して、新生トルコの領土を現在と同じレベルに確保することに成功した。
ケマルは、1923年に新生トルコの初代大統領に就任するや、「トルコはトルコ人のみからなる」とする「ケマル主義」を打ち立てた。トルコにおいては、クルド語やクルド文化の存在そのものが否定されることになったのだ。
本書を読むと、トルコに対する印象が決定的に悪くなる。1990年頃のトルコは、新聞で「クルド人」という言葉を使っただけでジャーナリストが殺害され、インタビューで「私はクルド人」と答えただけで2年間牢屋にブチ込まれるような、狂った国だったのだ。
そんな中、オジャランを党首とするPKK(クルド労働者党)は、トルコ政府に対してゲリラ闘争で対抗した。
イラクでは、かの悪名高きサダム・フセインが、クルド人に対して暴虐の限りを尽くした。クルド人の村落でマスタードガスやホスゲンガスなどの化学兵器が使用され、住民を皆殺しにした。
しかし、イラクにおいては、KDP(クルド民主党)とPUK(クルド愛国同盟)という2つの組織の抗争が長い間続き、クルド人組織としてまとまることができなかった。
また、トルコ、イラク、イラン、シリアは互いに仲が悪いため、それぞれの国が、自国のクルド人を弾圧しつつも隣国のクルド人を支援したことも状況を複雑にした。
こうしてクルド人は、様々な国の思惑に翻弄され、いつまでたっても一つにまとまることができないでいる。
中東問題は錯綜していてわかりにくいが、クルド問題は輪を掛けてわかりにくい。
本書が出版されたのは2002年だからかなり古いが、依然として、ほとんど唯一といっていいクルド問題を扱った本である。
その後、イラクのフセイン政権は崩壊し、その混乱に乗じてイスラーム国が台頭し、そして消滅した。イスラーム国との戦闘に従事したのも、多くはクルド人だった。
現在、イラク北部のクルディスタンではイラク政府の主権が及んでおらず、事実上の独立国家の様相を呈しているらしい。
2017年には独立を問う住民投票が行われ、93%という圧倒的な得票率で独立が支持された。しかし、独立を承認する国は一つもない。
一方トルコは、ヨーロッパ諸国からの圧力により、ようやくクルド語の使用に対する態度を軟化させ始めた。クルド語のテレビ放送が認められたのは2009年であり、クルド語で授業を行う小学校が開校されたのは、ようやく2014年のことだった。
一日も早くクルディスタンに平和が訪れ、自由に旅行できる日が来ることを祈っている。(19/01/25読了 19/01/26更新)