インドとイギリス 吉岡昭彦 岩波新書 ★★★★★
イギリス経済史家が見た、イギリスによるインド植民地支配の実体。
昭和50年(1975年)の出版だが、今こそ読むべき名著なのではないだろうか。
内容は溜息しか出ないが、文章は小気味よく、痛快ですらある。
インドの貧困と、イギリスの繁栄は表裏一体である。
イギリスは、オーストラリアでは虐殺の限りを尽くしたが、「植民地帝国イギリスの王冠のもっとも輝ける宝石」であったところのインドでは、ただ、搾取しかしなかった。
著者がインドを訪れたのは、高度経済成長期も終わりつつあった昭和48年である。当時、日本からインドを訪れる際、その玄関口はカルカッタ(コルカタ)だった。
著者は昭和2年の生まれだから、戦争体験もあるし、終戦直後のバラックも体験しているはずである。
にもかかわらず、著者はカルカッタで、「とうてい筆舌に尽くしがたい」程のショックを受ける。
この印象的なエピソードから、本書は始まる。今も昔も、カルカッタは、あらゆる意味で「もっともインド的な都市」なのかもしれない。
「そうはいっても、イギリスは良い統治もした。インドに港をつくり、鉄道を敷設してやったではないか」だって?とんでもない。
インドの鉄道はインドのためのものではなく、イギリスのためのものだった。三つのゲージが錯綜したインドの鉄道ほど、植民地支配の痕跡を目に見えるように示しているものはない。
帝国主義時代、<「宝」を満載した貨物列車は、飢餓と貧困にうちひしがれたインドの国土を素通りして、一路、港湾都市へと邁進して>いったのである。
しかも、なにからなにまでイギリスに奉仕させられたこの鉄道は、もっぱらインド人による危機負担によって建設され、経営されていた。
イギリスの投資家は、保証された利子を間違いなく受け取ることができる仕組みになっていた。だから当時のイギリスには、かのチャールズ・ダーウィンのように、一生働くことなく利子だけで遊んで暮らせる大金持ちがいたのである。その生活は、彼ら自身の努力によって手に入れたものではなかった。
<インドの立派な鉄道は、過去一世紀にわたってインド人から搾り取られた血と汗の結晶であり、広軌のガッチリとしたレールのきしむ音は、植民地支配下にあったインド人の怨嗟の声>なのである。
イギリスが、インドの富を収奪するために考え出した方策は、まさに「国家的詐欺」としか言いようのないものだった。
・・・本国費の項目を詳しく調べてゆけばゆくほど、インド財政という巨人に喰い入って、そこから生き血を吸っている大小無数の寄生虫の姿が浮かび上がってくるのである。この寄生虫どもは、「インドの門」を出入りすることによって、インド人の血税の少なくとも四分の一を吸いとってしまう。このことだけでも、イギリスがインドに「良き統治」をもたらしたとは、絶対にいえないはずである。
チャーチルは次のように述べている。
インドに「自治領の地位」を与えることは、とんでもない誤りである。なぜならば、インドは、カナダやオーストラリアのように、白人の移住によってできた植民地ではない。そこに住むのは、多くの劣等民族であり、彼らはそれぞれ、原始的な宗教と古くさい身分制度をもっている。しかも、三億五千万の人口のうち、西洋文明の恩恵に浴し、読み書きのできる者はごくわずかで、大多数は、その日暮らしの生活に追われている愚民である。このように、インドは劣等人種によって構成されている巨大にして複雑な多民族国家であるから、インド人自身がそれを統治することは不可能である。彼らの平和と福祉とは、もっぱら、イギリスが長年にわたって築き上げてきた統治機構と、公平無私な白人統治者の奉仕に依存するほかはない。・・・
まことにすさまじい、白人優越感とアジア人蔑視である。
これが、イギリスという国が長年にわたってやってきたことなのだ。(19/05/15読了 19/10/09更新)