古代史で楽しむ万葉集 中西進 角川ソフィア文庫 ★★★★☆
あかねさす紫野 行き標野 行き野守 は見ずや 君が袖 振る(巻一、二〇)
について調べようと思い、本書をひもといてみた。
一つの歌を理解するためには、ただ字面を追い、それを現代語に翻訳するだけでは不充分で、その時代背景をも知っておかなければならない。
しかるに、自分にとって、日本の古代史は知識の空白部分だったことに気付かされた。「大化の改新」なんていう言葉は、中学校の社会で真っ先に習うから脳の奥深くに刷り込まれているけれど、ウン十年ぶりに聞いたような気がする。
安易に読める本が濫造されている昨今だが、本書は圧倒的な格調の高さを誇る。
しかし、万葉集の入門書を謳っているにしては、あまりに通読するのが難儀である。
人名が山ほど出てくるが、まず読み方からして難渋する。古代の天皇家は近親婚を繰り返していたから、ナントカ皇子はみんな血縁関係にあるのだが、誰と誰がどのような関係にあるのかが非常にわかりにくい。家系図が載っていると理解の助けになるのでは・・・と思った。
とはいえ、一度にすべてを頭に入れる必要もない。非常に情報量が多いので、必要に応じてハンドブック的に参照するのが良いだろう。
作り手の個性を知れば、歌への愛着も湧いてくる。百人一首でいえば、一番目の天智天皇から持統天皇、柿本人麻呂、山部赤人、猿丸太夫、そして大伴(中納言)家持までの6人が万葉時代の歌人ということになる。(ただし、猿丸太夫は実在する人物かどうか不明で、本書にも出てこない。)
一方で、万葉集に収められた4500首もある歌の約半数は、無名歌である。それは例えば、
西の市に ただ独り出でて眼 並べず 買ひにし絹の商 じこりかも(巻七、一二六四)
意味:見比べもしないで、決めてしまって買った高価な絹が買い損ないだった(絹のようだと誤解して惚れ込んだ女が失敗だった)
といった素朴なもので、なんだか微笑ましい。
それは、名も知れぬ個人の歌というよりは、「集団の歌」というべきものなのだという。つまり和歌とは、元来、文字のなかった時代に口承によって連綿と受け継がれてきたものなのだろう。
われわれ日本人が、万葉集という古典をもっていて、それを通じて古代人の心に触れることができるというのは、まことに幸運なことだ。(19/06/12読了 19/06/23更新)