感染症と文明 山本太郎 岩波新書 ★★★★☆
文明のあるところ、感染症あり。農耕の開始、定住、野生動物の家畜化──これらの要因によって、感染症は人類にとっての宿痾となった。
感染症が人類史に与えてきた影響について、とてもわかり易くコンパクトに解説した好著。
実際のところ、感染症は世界史を動かしてきた。
ペストは、少なくとも3回、ヨーロッパで大流行した。
542年にコンスタンティノープルを襲ったペストは、「ユスティニアヌスのペスト」と呼ばれる。これが契機となって東ローマ帝国は衰退し、イスラーム教徒の侵入を招くことになる。
14世紀、中世ヨーロッパでのペスト大流行では、ヨーロッパ全人口の3分の1から4分の1が亡くなったといわれる。これにより、教会の権威は失墜し、中世的な身分制度が解体。ルネサンスへとつながっていく。
17世紀のロンドンでもペストが流行した。このとき、ケンブリッジ大学が閉鎖されたために故郷の町ウールスソープに帰った22歳の青年は、じっくりと思索する時間を得た。ここから、微積分法、万有引力の法則、光学の基礎が生み出されることになる。1665年、ニュートン「奇跡の年」である。
その後、ヨーロッパでのペスト流行は終わりを告げたが、アジアや北米では19世紀末から20世紀にかけて流行を繰り返した。1894年、日清戦争開戦の年に、香港でペスト菌の単離に成功したのが、かの北里柴三郎であった。しかし、その発見のプライオリティはもう一人の発見者、フランス人アレクサンドル・イェルサンに帰せられており、ペスト菌の学名は Yersinia pestis となっている。
百万の人口を擁したインカ帝国が、数百人のスペイン人にあっさりと滅ぼされてしまったのは、病原菌のためである。これは、ジャレド・ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄』に出てくる印象的な話だ。
疫病=神の怒りは、何の罪もないインカの民には無慈悲な鉄槌となって振り下ろされたが、残忍で卑劣なスペイン人には振り下ろされなかった。スペイン人は、戦わずして勝ったのである。
まず流行したのは、天然痘だったという。かつての天然痘患者の写真を見てみれば、この病が人々に与えた恐怖が理解できる。突然、こんな病気がインカの民だけに流行りだしたら、キリスト教を受け入れざるを得なくなるのも無理はない。なんという運命のいたずらだろうか。
その天然痘は、人類が根絶することに成功した唯一の感染症である。1977年、ソマリアで発症した男性が地球上最後の患者となった。(ただしその翌年、研究室から漏れ出たウイルスに検査技師が感染し、死亡している。)WHOは1979年、高らかに天然痘根絶宣言を発した。人類は感染症との戦いに勝利する、と誰もが信じた瞬間だった。
著者は言う。
病原体の根絶は、マグマに溜め込んだ地殻が次に起こる爆発の瞬間を待つように、将来起こるであろう大きな悲劇の序章を準備するに過ぎない。根絶は根本的な解決策とはなりえない。病原体との共生が必要だ。たとえそれが、理想的な適応を意味するものではなく、私たち人類にとって決して心地よいものではないとしても──。
とはいえ、この「集団免疫」戦略は、現代人にはとうてい許容できるものではないだろう。(20/05/15読了 20/05/16更新)