ことばは国家を超える ★★☆☆☆ 田中克彦 ちくま新書
ウラル・アルタイ語は、西はフィン・ウゴル語族のフィンランド語やハンガリー語から、チュルク語、モンゴル語、ツングース語、東はネネツ語やナナイ語、朝鮮語や日本語までをも含む、ロマンあふれる言語たちなのだ。
英語で目は the eyes と複数形で表現するが、日本語では「片目」と「一つ目」は意味が違う(他のアルタイ語でもそう)。 ロシア語には「熊」を表す基本語彙がない。ロシア語で熊は медведь というが、これは「蜂蜜を食うやつ」の意味。つまり、「メドベージェフ」という姓は「熊さん」。
こういうウンチクが好きなのだが、この本には具体的な言語の話はあまり出てこない。
今どき、「膠着語はヤバンな言語で、屈折語が言語の最終形態」なんていう言説を信じている人はいないので、そこを力説されても…と思ってしまう。
言語学者にすこぶる評判の悪い大野晋の「日本語-タミル語同系説」だが、有名な岩波新書の赤版『日本語の起源』(1994年)のタイトルには、小さく「新版」の文字が添えられている。
実は、旧版はそれより37年も前の1957年に発行されており、その内容は新版とはまったく異なるという。日本語の起源がよく分からないこと(当然、アルタイ語との比較もされている)について当時の知見が述べられており、むしろ旧版のほうが読む価値があるかもしれない。(22/06/02読了 22/09/18更新)