読書日記 2024年

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天皇家の〝ふるさと〟日向をゆく ★★★★★ 梅原猛 新調文庫

宮崎は、『古事記』『日本書紀』に出てくる日向神話の舞台として、唯一無二の場所である。
にもかかわらず、戦後、日向神話について語ることは、軍国主義を助長するとしてタブー視されてしまった。
でも、実際の日向神話は、軍国主義とは無縁の、おおらかで縄文的な世界観に貫かれているのだ。たとえば、イザナギ・イザナミの国生み神話は、露骨なセックス賛美の物語なのだという。

宮崎県には、高千穂という地名が南北の端にある。一つは霧島連山の高千穂峰であり、もう一つは高千穂峡のある高千穂町である。
高千穂峰は、ニニギノミコトが降り立った天孫降臨の山とされ、そのいただきには「天の逆鉾」が突き刺さっている。確かに、韓国岳からのぞむ高千穂峰は神々しいの一言で、天孫降臨の山にふさわしい。
しかし、梅原猛はこの説に異を唱える。
なぜならば、高千穂峰のあるシラス台地は稲作に適さないのに対し、高千穂町は豊かな水に恵まれた稲作の適地だからである。そうすると、天孫降臨の山は、高千穂町にある二上山(989m)という、千メートル足らずのあまりぱっとしない山ということになる。

記紀神話のいう日向三代とは、
第1代 ニニギノミコト
第2代 ヒコホホデミノミコト(山幸彦)
第3代 ウガヤフキアエズノミコト
である。ニニギノミコトはアマテラスオオミカミの孫にあたる。そして、第4代、つまりウガヤフキアエズノミコトの子が神武天皇ということになる。

鵜戸神宮には何度も行ったことがあるが、ここは、ウガヤフキアエズノミコトを主祭神として祀っており、その母であるトヨタマヒメがウガヤフキアエズノミコトを産んだところとされる。
ウガヤフキアエズノミコト(鵜葺草葺不合尊)という名は、トヨタマヒメがお産をするために鵜の羽で葺いた産屋を用意したが、お産までにその屋根を葺き終わらなかったことにちなむ。
ニニギノミコトは大陸から稲作という最新技術を携えてやってきた渡来人だが、トヨタマヒメは南九州に土着のハヤトだった。そのため風習が大きく異なっており、トヨタマヒメは自分たちの風習に従ってお産をしようとたのである。
鵜戸神宮には、トヨタマヒメにちなんだお乳岩や、トヨタマヒメが乗ってきたという亀の形をした岩もある。
トヨタマヒメはワタツミの神の娘であり、ヒコホホデミノミコト(山幸彦)はワタツミの神の宮で歓待を受ける。この話は、浦島太郎を彷彿とさせる。

ニニギノミコトの妻、コノハナサクヤヒメは土着の豪族の娘だった。つまり、日向神話とは、縄文系と弥生系の融合の物語なのだ。
ニニギノミコトの子であるヒコホホデミノミコト(第2代)はハヤト系のトヨタマヒメを妻娶った。
さらに、その子であるウガヤフキアエズノミコト(第3代)は、トヨタマヒメの妹、タマヨリヒメを妻とした。つまり、自分の叔母さんと結婚したことになる。近親相姦である。
したがって、興味深いことに、神武天皇にはハヤトの血が3/4、(曽祖母であるコノハナサクヤヒメの)縄文系の血が1/8流れていることになる。つまり、渡来人の血はわずか1/8にすぎないなのだ!

日向神話が史実なのかということは、シュリーマンが『イリアス』や『オデッセイア』に語られたトロイア戦争の遺跡を発掘したように、考古学が証明すべきことだ。
しかし、それが史実かどうかは、実はあまり重要ではない。宮崎には、日向神話の登場人物が祀られた神社や、その舞台とされる場所が数多くあり、様々な伝承が残されている。そのことにこそ、意味があるのだと思う。
宮崎には、まだまだ訪れるべき場所がたくさんある。

とはいえ、かつて記紀神話が曲解され、軍国主義に利用されたことも事実である。記紀神話について語るとき、この問題は避けて通れない。
梅原猛は1925年生まれだから、もろに戦争世代である。軍事教練で上官から理不尽に殴られ続けた筆者は、未来に絶望し、特攻隊に志願したという。しかし、学科試験は満点だったものの、その後の口頭試問で日本の戦闘機の名前を答えられず、「非国民」と一喝されて不合格になった。もしこの試験に合格していれば、知覧の特攻隊記念館に写真が飾られていたかもしれないのだ。
そういう筆者による論考だからこそ、大いに説得力がある。(24/03/05読了 23/03/10更新)

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