しっぽ学 ★★★☆☆ 東島沙弥佳 光文社新書
まさに、ヒトにおける尻尾の喪失について調べていたときに本書が出版された。渡りに船とはこのことだ。
いわゆる「文理の壁」を軽やかに乗り越えていく筆者は、羨ましくもある。特に、『日本書紀』から「尻尾の生えたヒト」の記述を探す話など、なかなか面白い。
なお、尻尾のある人が生まれてきたという話はときどき聞くが、その「尻尾」(医学的に human tail と呼ばれているもの)は、実際には尾(と相同の器官)ではないらしい。
さて、ヒトにおける尾の喪失といえば、Xia et al. (2024) Nature 626: 1042–1048 を避けて通ることはできない。
だが、この論文についての本書の記述は、拍子抜けと言わざるを得ない。筆者はこの論文を、「これまでの研究の蓄積をほとんど全く把握していない」などといって批判しているが、その批判は的を射たものではない(そもそも、Xiaらが過去の研究を把握していないなどということがあるはずがない)。
確かに、ヒト上科における尾の喪失にどのような適応的な意味があったかは議論の余地がある。しかし、その点はこの論文の主旨からは大きく外れる。
Xiaらが主張していることは、あくまでも、尾の喪失の分子的メカニズム―ヒト上科の共通祖先においてTBXT遺伝子のイントロンにAlu配列が挿入された―である。
さて、Xiaらの論文では、ディスカッションの最後で次のような議論が展開される。
TBXT遺伝子へのAlu配列の挿入によって、「二分脊椎」という重篤な障害が起きやすくなった(ヒト新生児の千人に一人の割合で発生する)。とすれば、尾の喪失は、そのデメリットを補って余りあるほどのメリット(例えば、二足歩行の邪魔にならない)があるに違いない――。
だが、このロジックは正しくない。集団サイズが小さければ、弱有害な突然変異も固定しうる。だから、必ずしも尾の喪失にメリットがあったとは限らないのだ。
とはいえ、(くどいようだが)だからといって、この論文の発見自体が否定されるものではないのだ。(24/09/21読了 24/11/01更新)