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5.コルカタの街かど

コルカタ(カルカッタ)は、インドの東の玄関口である。
かつて、インドを目指した旅人は──堀田善衞も、沢木耕太郎も、妹尾河童も、まずはコルカタのドムドム空港(現在は、ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース空港というやたらと長い名前に変わっている)からインドに上陸した。
そして、この街の混沌と喧噪と貧困、蠢く人々の体臭、群がる物売り、まとわりつく物乞い・・・を目の当たりにして、インドの魔力から逃れられなくなっていったのである。

* * * * *

敬愛するベンガル詩人Sabyの友人、Sandipが空港まで迎えに来てくれた。
Uberで呼んだタクシーで、一泊1600ルピー(2500円)の安宿へと向かう。
コルカタは、これといった見所のない街である。その中で、是非とも訪れてみたと思っていたのは、カーリー寺院だった。

血と殺戮の女神、カーリー(काली)は、コルカタの守り神だ。「コルカタ」の名もこの女神に由来している。
コルカタには、カーリーを祀った寺院がいくつもある。その中の一つ、カーリーガートのカーリー寺院では、毎朝生きたヤギの首を刎ね、生贄として捧げる儀式が今も行われている。
この儀式を見学するために、わざわざその近くに宿をとっておいたのだ。
到着したのは夕方だったから生贄の儀式には遅かったが、スーツケースを宿に置いて、まずはカーリー寺院へと出掛けることにした。

寺院の中は撮影厳禁。荷物を持ち込むこともできない。
Sandipにカメラとバッグを預け、一人で境内に入る。ベンガル人たちの長い列の後ろに並ぶ。観光客の姿はない。
でも、この寺院はもはや、有名になりすぎたようだった。
自分の番が来るや、「ドネーション、ドネーション」「1000ルピーでOK。ミニマム500ルピー」などと執拗にカネを要求された。
財布の中には100ルピー札がなかったため、200ルピー(320円)を出さざるをえなかった。痛恨のミスである。
しかも、動揺のあまり、肝心のカーリー女神のご尊顔を拝み損なってしまった。

寺院を出て、中で起きたことをSandipに愚痴った。するとSandipは、近くにいた人に100ルピー札を握らせて「この人にカーリーを見せてやってくれ」と交渉してくれた。 その人に連れられて、もう一度境内へ──。
なるほど、こうなっていたのか。そこには、真っ黒な顔に血走った三つの目をもつ、恐ろしい形相のカーリー女神様が・・・。

それから、私のたっての希望で、Fujiという日本料理屋へ行った。
生姜焼き定食、刺身、天ぷら、焼きうどんなど、欲望の赴くままに注文した。店員は全員インド人だが、紛れもない日本の味だ。美味しくて涙が出る。やっと風邪から復活したぞ!
4600ルピー(7300円)も消費してしまった。Sandipは全額払ってくれようとしたが、さすがに申し訳ないので半分払わせてもらった。

* * * * *

コルカタは、デリーよりもずっと、下町っぽい雰囲気を残しているようだった。
デリーでは、外国人と見るやウザイ輩が次から次へと湧いてきて、何かにつけてカネをむしり取ろうとしたが、コルカタではそんなことはなかった。
ここではまだ、リクシャ—(人力車)が現役である。
そして、至る所にチャイ屋さんがあるのがいい。素焼きの小さな器に入れたチャイが、一杯わずか5ルピー(8円)で飲めるのだ。甘くてとても美味しい。

雨のコルカタ。ここではリクシャーはまだ現役

街中にいるヤギ。生贄?

コルカタの街かど

チャイ屋さん。一杯5ルピー(8円)

歌手のMousumiと、その娘さんが迎えに来てくれた。
まず、コルカタ随一の観光名所であるヴィクトリア記念館へゆく。タージ・マハルを真似て造られたという総大理石の白亜の建物は、まさしくイギリスによるインド支配の象徴である。イギリスは、インドにおいて、ただ搾取しかしなかった。
そこには、タージ・マハルのような高貴さは微塵も感じられない。だが、この帝国主義の落とし子のような醜悪な建造物も、コルカタ市民にとっては自慢であるようだった。負の世界遺産に登録すべきかもしれない。

ヴィクトリア・メモリアル①

ヴィクトリア・メモリアル②

ヴィクトリア女王像

続いてインド博物館へ。インド各地から発掘された仏像や遺跡、さらには化石や標本が無造作に並べられている。展示品が多すぎて疲弊する。

インド博物館

コルカタの賑わい。まだクリスマス仕様?

大繁盛のビリヤニ屋さんで、恐ろしく脂っこいビリヤニを手づかみで頬張る。
腹ごしらえののち、ダクシネーシュワル・カーリー寺院(দক্ষিনেশ্বর কালী মন্দির)へ向かう。Sandipが昨日、「カーリー寺院に行くなら、こっちに行くべき」と勧めてくれたところだ。もう、生贄の儀式はどうでもよかった。

市内からタクシーで1時間ほど、日没の少し前に着いた。料金は400ルピーだった。
ガンガーだ!
川面に陽が落ちようとする頃、人々が三々五々集まってきて、ガンガーに身を浸す。サリーを着たまま沐浴する婦人もいる。
旅の終わりに、思いがけずガンガーに会うことができて良かった。
厳密にいえば、これはガンジス川の支流であり、ここではフーグリー川と名前を変える。だが、ここを流れているのがガンガーの聖なる水であることに変わりはない。

夕暮れのガンガーで沐浴する人々

カーリー女神様にお詣りする。ここでは、ドネーションは10ルピーもあれば充分だった。
境内は撮影禁止だったので、お土産屋さんで額縁に入ったカーリー女神の写真を買った。たったの80ルピーだった。
娘さんがいつか日本に来られるよう、毎日カーリーにお祈りすることを約束して、コルカタの空港へ向かった。

お供え用のお菓子屋さん

ダクシネーシュワル・カーリー寺院

最初から最後まで、多くの人の無償の親切に支えられた旅だった。旅人は、一人では何もできない寄生虫なのだ。【完】

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