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4.天空の町、コヒマ

ナガランド(Nagaland)州は、その名の通り、ナガの国である。
「ナガ」という単一の民族がいるわけではない。ナガとは、アオ(Ao)、アンガミ(Angami)、チャケサン(Chakhesang)など15ほどの部族(tribe)の総称である。それぞれの部族は、互いに通じ合わないが系統的に関連している、別々の言語を話す。
かつて、ナガの各部族は互いに敵対関係にあった。首狩りの風習があり、狩った首は家の軒下に吊されたという。
その風習は、19世紀にキリスト教の宣教師が入ってくることによって廃れてしまった。今日、ナガの人たちの90%はキリスト教徒である。
現在では、異なる部族間の婚姻は普通である。そうすると、その子供はNagameseというクレオール言語を母語として育つことになる。(なお、Nagameseはナガランドのリンガ・フランカだが、ナガランド州の公用語は英語である。)現在のナガの人たちは、それぞれの部族というよりは、「ナガ」としてのアイデンティティーをもっているようだ。

日本ではあまり知られていないが、ナガランドは、カシミールと並ぶインドの紛争地帯である。
インド帝国の時代から、ナガランドは、イギリスの統治も及ばない辺境の地だった。1947年8月14日、インド帝国が解体する前日、ナガランドは独立を宣言する。しかし新生インドは、これに徹底的な弾圧で応じた。以来ずっと、彼らはインドからの分離独立を求めて武力闘争を行ってきた。ナガの人たちは、戦士なのだ。
そのためナガランド州では、長らく外国人の立ち入りは禁じられてきた。外国人に開放されたのは、ようやく2011年になってからである。

* * * * *

コヒマはナガランド州の首都である。
コヒマ近郊に、Japfu Peakというナガランド州第2の高峰(標高3024m)が聳えている。(ナガランド州最高峰は標高3826mのSaramati山だが、ミャンマーとの国境付近にあるためアクセスは極めて困難である。)
Japfu Peakは、コヒマから1泊2日で登れるという。そこで、この山に登ろうと思い立った。
ところが、思わぬ障害が立ちはだかった。ナガの人たちは敬虔なクリスチャンである。彼らは、クリスマス前から正月三が日くらいまでがっつり休み、決して働こうとしない。年末年始にナガランドを訪れても、ガイドが見つからないのだ。
そのため今回は、Japfu Peak登頂を諦めざるを得なかった。

それでも私がコヒマを訪れようと思ったのには、別の理由があった。
ここは、第二次大戦の戦場だったのだ。1944年、「コヒマの戦い」が行われたところだ。
日本人にとって、インド北東部でもっとも知られた地名は、インパールだろう。
インパール作戦──この無謀な作戦によって、無数の日本兵が犬死にした。コヒマとインパールを結ぶ道は、当時「白骨街道」と呼ばれたほどである。

私の祖父は軍医だった。インパール作戦に従事した。
詳細は何もわからない。ただ、家に小さな箱が届いた。中には、どこのものかもわからない、石ころが入っていただけだった。
そのインパールは、ナガランド州の南、マニプール州にある。
今回、インパールまで足を伸ばすことは叶わなかった。
でも、コヒマはディマプールのすぐそばにあるのだ。そうであれば、訪れるべきではないか。

* * * * *

まず、ディフー駅から、むっとする体臭のたちこめる寝台列車に乗って、ディマプールへ向かう。とはいえ、列車に乗っている時間はたったの40分だ。
そこからコヒマ行きのバスに乗り継ぐ。料金は300ルピー(500円)だ。8人乗りのボロいバンに、11人がぎゅうぎゅうに押し込まれる。
ディマプール・コヒマ間は、地図で見ると、わずか50kmほどしか離れていない。でも、例によって道路が壊滅的な状況であるため、実に3時間以上もかかった。
まれに舗装道路が出現するが、それは1キロと続かない。一体彼らは、この工事を終わらせる気があるのだろうか?
車体は激しくバウンドした。ぎゅうぎゅう詰めで3時間はつらい・・・と思ったが、3人掛けの椅子に4人が押し込まれていることによって身体が車体に激突するのが防がれ、むしろ良かった。

この車でコヒマに向かう

コヒマに到着した。 親切なことに、カルビの家のお父さんが、コヒマに住むナガの友人に連絡してくれていた。
まず、そのナガのお宅にお邪魔させてもらう。
ナガの人たちは、輪をかけて日本人にそっくりだ。そして、美男美女が多い!
コヒマは標高1400メートルの山の斜面に作られた、不思議な天空の町だった。
至るところ坂だらけの、超立体的な町。山肌は家々でびっしりと覆われ、市街地は無秩序に拡大していくようだった。

無秩序に広がるコヒマの町

超立体的なコヒマの家並み

イケメンのナガのお父さんと娘さん

そこから「コヒマの戦い」の戦死者の墓地、Kohima War Cemeteryまでは、歩いてすぐだった。
でもここは、連合国側の視点から作られた施設である。
イギリス兵のお墓は十字架に向かって、ムスリムのインド兵のお墓はメッカに向かって、ヒンドゥー教徒や仏教徒のお墓はその反対側に向かって、整然と配置されていた。
ここでは、日本は悪者である。当然、死んだ日本兵の存在は無視されている。
十字架に向かって手を合わせるのも変な話だが、自然と、手を合わせずにはいられなかった。そして、まったく予想外だったが──犬死にした日本兵の無念を思うと、涙が滴り落ちてきた。

Kohima War Cemetery①

Kohima War Cemetery②

Kohima War Cemetery③

Kohima War Cemetery④

Kohima War Cemetery⑤

ムスリムのお墓

コヒマの丘に、風が吹き抜ける──。
墓碑の一つには、こんな風に書かれていた:

26TH APRIL 1944 AGE 19
A NOBLE FINISH

Noble finishだって?冗談じゃない。戦争に、高貴な死なんてあるもんか!

* * * * *

それから、第二次大戦の戦車の残骸を見にいき、Naga Heritage Villageという明治村みたいなところに連れていってもらった。ここは、年に一度のナガの祭典、Hornbill Festivalの会場でもある。

第二次大戦の戦車の残骸

ナガの明治村、Naga Heritage Village

Chakhesangの家。部族によって屋根の形が異なる

Sumiの家。敵対する部族の首を軒下に吊したという

Yimchungruの家

Changの家

ナガの家庭料理

ナガの家庭料理もご馳走してもらった。ナガ料理は豚肉がメインだが、とても辛い。韓国料理のような、唐辛子の刺すような辛さである。面白いことに、彼らは自分の家でキムチを漬けて食べる。
そして、その人の親戚が経営するホステルに、ただで泊めてさせてもらった。なんて親切な人たちなんだろう。
わずか1泊だったが、印象深い滞在となった。
翌朝、タクシーで直接、コヒマからディマプールの空港へ向かった(悪路を3時間で3000ルピー、約5千円)。いよいよ最後の目的地、コルカタへ飛ぶ──。(つづく

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