Home > 世界中の山に登りたい! > バリ島最高峰・アグン山 ─ヒンドゥーの聖なる山に二度登る─
私は南の島のリゾートが嫌いである。それに、これまで、東南アジアというエリアにはいまいち魅力を感じなかった。そんな私が、いくつかの偶然が重なって、バリ島に行くことになった。
バリ島について調べていたら、島の真ん中に3000mオーバーの山があることを発見した。アグン山 Gunung Agung(“Gunung”はインドネシア語で「山」)という。バリの人々は、ここにヒンドゥーの神々が棲むという。
よし、ひとつこいつに登ってやろうじゃないか。
けれどもヒンドゥーの神々は、そんな傲慢な日本人がこの山の頂に立つことをなかなか許してはくれなかった。
出発2週間前に、アグン山で山火事が発生した。火は数日間にわたって燃えさかり、数百ヘクタールもの森を焼き尽くした。
やがて火は消えたものの、とても登山ができる状況ではないように思われた。
一番高い山に登れなければ、二番目に高い山に登ればいいさ──。
それはバトゥカル山 Gunung Batukaru といって、島の西方に聳えている。バリ島に、友人の知人の親戚の友人(つまりただの他人)が務める旅行会社があったので、そこに状況を問い合わせてみた。しかし、「アグン山のガイドと連絡が取れない」と言ったきり、待てど暮らせど返事が来ない。
そして出発前日、激しくテンパっている最中、「アグン山の登山の主催会社と連絡が取れないため、登山の予約ができません。また、バトゥールやバトゥカウなども本格的な登山となると現在予約できる場所がありません」という人を小馬鹿にした返事が来た。
こうして、事前のリサーチが皆無の状態で、現地入りすることになってしまった。
アグン山の標高は、よく分からない。
一般には3142mという数値が使われているようだが、実際にはそれよりも低いらしい。山岳ガイドは3014mと言っていたし、私がバリ島で買ったインドネシアの地図に到っては、2567mと書いてあった。しかしここでは、このサイトにある数値(3031m)を採用することにする。
アグン山は富士山のような美しい円錐型をした火山で、頂上にはすり鉢状の噴火口がある。しかし、富士山のお鉢巡りのように、噴火口の縁をぐるりと一周するなどという洒落たことはできない。噴火口の縁にはいくつかのピークがあるが、ピークとピークを結ぶ道がないのだ。
アグン山に登頂するためのルートは、主に2つある。私は、中一日を空けてその両方に登るという変態度の高いことをしてしまった。
多くの観光客に登られているのは、南側のパサル・アグン寺院 Pura Pasar Agung から出発して、サウス・ピークへと到るコースだ。サウス・ピークの高さは不明だが、ガイドによれば約2800mということだった。つまり、真のピークよりもだいぶ低いのだ。
標準コースタイムは、登り4時間、下り3時間。午前2時に麓を出発し、ライトの明かりを頼りに真っ暗な道を登っていく。そして、山頂でご来光を拝んで、昼前に下山するというのが一般的なスケジュールである。
一方、真のピークへと到る道は、それよりもずっとキツい。
そのルートは、アグン山の南西の麓にあるブサキ寺院 Pura Besakih より始まる。ブサキ寺院は、バリ島でいちばん大きな寺院で、バリ・ヒンドゥーの総本山である。
コースタイムは、登り6~7時間、下り5時間。夜の11~12時に出発しなければならない。しかも、道が単調な上に、カラカラに乾燥した崩れやすい砂の急斜面をひたすら登り続けるため、体力を消耗する。よって、よほどマニアックな人以外にはお薦めできない。
バリ島の山は、ガイドなしで登ってはいけないことになっている。
気になるガイド料だが、ウブドの観光案内所でサウス・ピークへのツアーに申し込んだところ、(人数が2人以上の場合)一人90万ルピアだった(1円 ≒ 120ルピア)。これは相場だと思う。
しかし、あとで分かったことだが、Gung Bawa Trekkingに頼めば、一人65万ルピアで済んだのだった。
真のピークへのツアーは、その辺の観光案内所では取り扱っていない。私はGung Bawa Trekkingでガイドを紹介してもらった。
ガイド料は、人数が2人以上であれば、75万ルピアである。私は個人的にガイドを雇ったので、倍の150万ルピアを払った。
海外で登山をする場合、良いガイドを見つけるのが生命線だが、それは現地に行ってみないとなかなか分からない。今回経験して思ったのは、たとえ倍の料金を払ったとしても、個人ガイドを雇った方が絶対に良いということだ。
バリ島の主邑、デンパサール Denpasar へは、羽田から直行便が飛んでいる。しかも、時差が1時間しかない。欧米への航路に比べると、あまりの楽さに涙が出る。
飛行機は、夜中の1時に羽田を出発し、朝の7時半にデンパサールに到着した。
知り合いのバリ人と一緒に、ププタン広場 Medan Puputan 周辺の寺院や博物館、市場を巡った。
それからクタ Kuta に移動した。クタのビーチで見たサンセットは美しかった。
デンパサールは、あまり快適な町ではなかった。そこは暑すぎたし、車とバイクが多すぎた。観光客が寄りつかないのも納得できることだった。それに、一日でデンパサールのめぼしい観光地はすべて見尽くしてしまった。
そこで、デンパサールに2泊する予定だったのを1日で切り上げて、翌朝ウブド Ubud に移動することにした。
ハノマン通り Jalan Hanoman の安宿にチェックイン。一休みしてから、王宮に向かってテクテクと歩いて行った。すると、日本語で話しかけてくる人がいる。その人は、現地人のような風貌をしていたが、れっきとした日本人だった。普段は画家として生活しているが、ツーリスト・インフォメーションの手伝いもしているという話だった。
昨日、クタの観光案内所でアグン山について聞いてみたが、やっぱり山火事で入山禁止ということだったから、もうアグン山登山は諦めていた。それで、二番目に高いバトゥカル山に登ろうと思っている、ということを話した。
ところが、アグン山に登ることは可能だという。今日の夜中に出発するツアーがあって、既に一人が申し込んでいるというのだ。
その場でツアーに参加することを決めた。そして、その日デンパサールで合流する予定だったM氏と連絡を取り、空港から直接ウブドに来てもらうことにした。
無事にM氏と合流。夕食を食べてから、2時間ほど仮眠を取る。車は12時きっかりにやって来た。
車には、オランダから来た女性が乗っていた。この人が、先にツアーに申し込んだ人だったのだ。半年間、旅を続けるのだという。誠に羨ましい。
それからガイドと合流した。ガイドは、ジーバンにボロいスニーカーという、まったくやる気の感じられない格好で現れた。
ペットボトルの水が一人1本ずつ配られたが、途中に水場は一切ないので、これで足りるはずがない。最低1.5リットルは持っていくべきである。
ガイドはまず、ヒンドゥーの神々に祈りを捧げた。
2時15分、登山開始。ガイドは、バナナの入ったビニール袋をぶら下げたまま、猛烈な勢いで登っていった。
だいたいシロウトは、先頭を歩かせるとムダに速くなってしまうものである。予想通り、最初は元気ハツラツだったオランダ女子は、1時間も経たずにすっかりヘタってしまった。だから言わんこっちゃない。これなら俺がガイドをやったほうがマシだった・・・。
登り始めて2時間。次第に傾斜が急になっていく。
このペースでは、日の出に間に合わないかもしれない。少々焦ってきた。
M氏と私はガイドから離脱して、頭上で明滅している、先行するパーティーのライトの明かりを追いかけることにした。
とはいえ、真っ暗闇の中を、懐中電灯の明かりだけを頼りに急な岩場を登攀していくのは心細かった。自分のヘッドライトはオランダ女子に貸してあげていたのだ。
ほどなく、先行のパーティーに追いついた。山頂まではもう少しだという。
空と地面の境界線がオレンジ色の光を放ち始めた。日の出はもうすぐである。
スリリングな岩場をよじ登っていく。とはいえ、道はしっかりしていて、危険な箇所はない。
溶岩の急斜面を登り切り、山頂に躍り出た!
そして、視界が開けた瞬間──衝撃の事実が明らかになった。
そこは、アグン山の山頂ではなかった!
左手に、もっとずっと高い所があった。これは山頂に行くツアーではなかったのだ。知らなかった・・・。
もう一つ想定外だったのは、ちょうど太陽が出てくる位置に巨大な岩が聳えていることだった。この時期、太陽が地平線から顔を出す瞬間を見ることはできない。既に太陽は出てしまっていて、ただ岩の後ろに隠れているだけだった。
狭い山頂には、10人ほどの人がいた。
最高の天気だった。下界には、緑の絨毯のような熱帯雨林が広がっている。
やがて、ガイドと共に、オランダ女子も山頂に到着した。すごい気合いである。
登頂を果たした観光客たちは歓喜に溢れていたが、私は一人、釈然としないものを感じていた。私が来たかったのはここではない。あの頂に立ちたい──。
あそこに行くにはどうすればいいのかガイドに尋ねてみたが、「何をバカなことを」とでも言わんばかりの表情を浮かべてヘラヘラ笑っているだけだった。というか、そのガイドはほとんど英語を話せなかった。何度聞き返しても、何を言っているのかサッパリ分からないのだ。
WE DID IT!
ガイドさんと
こんなところに、猿が現れた。バリ島には猿がたくさんいる。それは、ニホンザルよりも少し小型の、カニクイザル Macaca fascicularis である。
猿は、我々の朝食であるパンを袋ごと奪って、逃走しやがった。
山頂は温かく、平和だった。2時間近くも滞在してしまった。
4人の客を連れた別のツアーのガイドは、パンケーキを焼いてゲストに振る舞っていた。我々もお裾分けをもらった。
8時過ぎに下山開始。溶岩の急斜面を下っていく。行きは暗くて分からなかったが、こんなところを歩いていたのか。
バリ島で2番目に高い山、バトゥカル山。右側にかすかに見えるのはジャワ島?
やがて、道は森の中に入る。今は乾期なので、地面はカラカラに乾燥している。足の踏ん張りが利かないと、細かい砂利に足を取られて華麗に転倒することになる。
オランダ女子は足を引きずりながら一歩ずつ歩いているので、一向に進まない。昼寝でもしながらのんびり待とうと思い、一人でずんずん下っていった。
次第に道が細くなり、やがて、ヒンドゥーの神々が祀られている広場に出た。あれ、こんなところ通ったかなぁ?
ここで待つことにした。しかし、15分待っても、20分待っても一向にやってくる気配がない。上に向かって大声で叫んでみるが、何の返事もない。
30分が経過すると、さすがに不安になってきた。道を間違えたのか?ガイドを付けたにもかかわらず、まさかのバリ島で遭難!?
下ってきた道を登り返し、見晴らしのよいところで再び待つ。ようやく、上の方から人影が現れた。
山頂でパンケーキを焼いていたガイドだった。そのガイドの後ろから、4人のゲストが足を引きずりながらゆるゆると下りてきた。しかし、私のガイドとM氏とオランダ女子はまだ遥か後方にいるという。
そこから駐車場までは、あと30分程度だった。そこで、そのガイドと一緒に下山して、駐車場で待つことにした。
そのガイドは英語が堪能で、山についての知識も豊富だった。しかも、私は90万ルピアを支払っていたのに、彼のツアーは65万ルピアという良心的な料金設定だった。
また、顧客に対する気遣いも素晴らしかった。我々のガイドよりも優秀であることは明らかで、本当に山が好きでガイドをやっているように思われた。
その人こそが、Gung Bawa Trekkingの主催者であるGung Bawa氏だったのだ。Gung Bawa氏は、(サウス・ピークでなく)真のピークへのガイドも請け負っているということだった。
ウブドにもう2泊する予定だった。ウブドの宿に荷物を置いてあるので、今日はウブドに戻らなければならない。でも、2日後にもうワンチャンスあった。Gung Bawa氏は親戚の結婚式があるため行けないが、代わりのガイドを紹介してくれるという。
こうして、2日後にもう一度、別ルートから同じ山に挑むことになった。
登山の起点、パサル・アグン寺院 Pura Pasar Agung
翌日。ウブド観光は最小限にとどめ、ひたすら体力温存に努める。
夜10時、迎えの車は容赦なくやって来た。1時間ちょっと昼寝をしただけで出発となった。
車は再び、山道をトコトコ走っていく。
Gung Bawa氏の事務所でお弁当や水、お土産の帽子(耳の隠れる帽子は必須)を受け取る。もう少し車に揺られると、ブサキ寺院の駐車場に着いた。
Gung Bawa氏と分かれ、紹介してもらったガイドと合流する。そこからさらに、ガイドのバイクに乗り換えて、登山のスタート地点である小さな寺院へと向かう。道が細いため、車でそこまで到達することができないのだ。
バリ島ではノーヘル・ニケツがデフォルトなので、生きた心地がしなかった。
夜中の12時25分、登山開始。
またしても、ガイドはかなり速いペースで登っていった。
そして、日本の登山と同じように、1時間おきにきっちりと休憩を取った。
道は険しかった。かなりの急斜面だが、乾期でカラカラに乾燥しているため、蟻地獄のようになっている。三歩前進二歩後退という感じで、体力を消耗する。
テントを張ってキャンプをしている人たちがいた。聞くと、ジャワ人だという。
テントといっても、ビニールシートで屋根を作っただけの簡素なものだ。焚き火の痕跡もある。
もちろん、トイレはない。ここは日本の山とは違って、大勢の登山者が大挙して押しかけるようなところではないのだ。
バリ人のグループもキャンプをしていた。地元民は1泊して登るのが普通のようだ。
2時25分、暗闇の中で、ガイドがヒンドゥーの神々に祈りを捧げる。
3時10分、ガイドが“For my energy”とか言いながら、腰を下ろしてお弁当のナシゴレンを食べ始める。
眠い。頭がフラフラしてきた。日本から持ってきたパワージェルを投入する。
あと山頂までどれくらいか、と聞くと、4時間という。
4時間!?
まだ半分も登ってないのか・・・。さすがの私もヘタってきた。これでは山頂まで辿り着けないかもしれない、と弱気になる。
あまり休みたくなかったので、ガイドがナシゴレンを食べている間、一人でゆっくり登っていくことにした。
食べ終わったガイドは猛烈なペースで追いかけてきて、たちまち追いつかれた。なんというタフなガイドだ・・・!
3時40分、インドネシア国旗のあるスポットに着く。
ガイドは、「ここから頂上まであと1時間半だ、good pace!」という。
ハァ、1時間半!? さっき、あと4時間かかると言ってから、まだ30分しか経ってないんですけど・・・。
ということは、日の出は6時過ぎなのに、5時過ぎには山頂に着いてしまうことになる。それなら、こんなハイペースで登る必要はなかったのだ。
登り始めは雲っていた空には、いつしか星が瞬いていた。満天の星空だ。
眼下に広がる森は漆黒の闇であり、ブサキ寺院だけが幻想的な光を放っている。
こうなったら、時間を消費しながら、できるだけゆっくりと登らなければならない。
登れば登るほど、ますます気温は下がっていた。
稜線に出ると、にわかに風が強くなった。これを登り切ったところが山頂だという。時刻はまだ5時だった。
これ以上登ると寒さに耐えられないので、岩のくぼみにはまり込んで時間を潰すことにした。
Tシャツ、シャカシャカ、ゴアの雨具上下、ダウンという順に着込んでいったが、それでも寒くて仕方がない。
ガイドの装備はみすぼらしかった。私はトレランシューズだったので、登山靴は私よりも良いものを履いていた。でも、防寒具は普通のコート1枚だけで、彼は登りはじめからずっと同じ格好をしていた。ザックは、ミッキーマウスがあしらわれた、小学生が遠足にもっていくようなシロモノだった。
少しまどろんだ・・・が、寒さですぐに目が覚める。
空が明るくなってきた。
ゆっくり、ゆっくり登っていく。
そして、5時40分、標高3031mのアグン山の頂に辿り着いた。
もっと奥、ガラガラの稜線の先に別のピークがあったが、こちらの方が標高が高いという。ここが real summit なのだ。
東の地平線に、隣のロンボク島の最高峰・リンジャニ山 Gunung Rinjani のシルエットが浮かび上がっている。
しかし、その光景をじっくりと鑑賞するには寒すぎた。強風が容赦なく吹き付ける。
岩のくぼみに身を横たえ、太陽が顔を出すのを待つ。
空が明るさを増すと、次第に周囲の風景が明瞭になってくる。
ここは噴火口の縁ではなかった。奥にある別のピークまで行けば、2日前に見た噴火口をのぞき込むことができそうだったが、そこへ到る道はなかった。
眼下には、バトゥール湖を取り巻く外輪山が、霧島連峰の大浪池さながらの美しい円を描いていた。バリ島随一の景勝地、キンタマーニ Kintamani はあそこにあるはずだ。
ここがバリ島最高地点!
太陽が顔を出し、山肌が赤く染まる。
明らかに体感温度が上昇したのが分かるが、相変わらず風が強い。長居することはできなかった。
6時20分、下山を開始する。
溶岩でできたボコボコの急斜面を、ひたすら下っていく。
30分ほどで、インドネシア国旗のある地点まで下りてきた。
やがて、シンガポールからきたカップルとすれ違った。このルートで出会った唯一の外国人だった。
なおも下っていくと、前日キャンプを張っていたジャワ人やバリ人に出会った。バリの人たちは、山頂で祈りを捧げるために、ここに登ってくるのである。
ガイドの話によれば、アグン山のガイドは、みんな麓のブサキ寺院に所属している僧侶なのだという。だから、彼らは山のスペシャリストではない。
ブサキ寺院で祭祀があるときには、聖なる水を汲みに行ったり、バリ人を山頂まで案内したりするのだそうだ。
ガイドは100人近くいるらしい。観光案内所で頼むと、色んな人が介在しているためにマージンを取られて、割高になるという訳だった。
標高が下がるにつれ、ますます気温は上昇していった。
針葉樹林が現れたかと思うと、やがて熱帯雨林に変わった。
登っているときには何も見えなかったけれども、アグン山の森は豊かだった。
かなりの急斜面だ。
砂や小石は滑りやすく、しばしば転倒した。しかし、ガイドは惚れ惚れするほどのスピードで、砂埃をもうもうと上げながら駆け下りていった。彼は何でコケないんだろう?トレランをやらせたら相当速いんじゃないだろうか。僧侶見習いにしておくには惜しい逸材だ。
9時40分、スタート地点に着いた!
通常は5〜6時間かかるところを、わずか3時間20分で下ってきた。なかなか良いペースだ。こう見えても私は、トレイル・ランナーのハシクレなのだ。
それからまたバイクに乗って、ブサキ寺院に戻った。ガイドは、ブサキ寺院を丁寧に案内してくれた。
二つのルートから登ってみて、通常のツアーが山頂まで行かないことの意味がわかった。サウス・ピークへのルートのほうが、距離が短いだけでなく、変化に富んでいて面白いのだ。
でも、この山に二度も登らせてもらえて、本当に良かった。ヒンドゥーの神々に感謝しなければならない。
インドネシアには、他にも面白そうな山がたくさんある。
インドネシアの最高峰はニューギニア島のプンチャック・ジャヤ Puncak Jaya(4884m)だが、これに登頂することは相当に困難である。
ボルネオ島の最高峰は、マレーシア領にあるキナバル山 Gunung Kinabalu(4095m)だ。日本から、いちばん気軽に登れる4000m峰として知られている。
スマトラ島、ロンボク島、ジャワ島、スラウェシ島の最高峰はそれぞれ、クリンチ山 Gunung Kerinci(3805m)、リンジャニ山 Gunung Rinjani(3726m)、スメル山 Gunung Semeru(3676m)、ランテマリオ山 Bulu Rantemario(3478m)である。いずれも頑張れば登頂できそうな、面白そうな山だ。
これまでに、本州、北海道、四国、九州、済州島、バリ島、グレートブリテン島の最高峰に登頂した。これからは、世界中の色んな島の最高峰を目指そうと思う。【完】