遺伝子の不都合な真実 安藤寿康 ちくま新書 ★★☆☆☆
うーーん、イマイチである。
著者は、「事実命題から価値命題を引き出してはいけない」という、ムーアの言説を得意げに引用する。しかし、滑稽なことに、著者自身が「自然主義的誤謬」の陥穽に嵌っているのだ。
まずもって、タイトルが悪い。人間の能力が遺伝子の影響を受けていることが、「不都合な真実」だって?人間だって、遺伝子の制約から逃れることはできない。そんなの当たり前じゃないか!
そもそも「遺伝子」たるものは、世間の人々からそんなに目の敵にされているのだろうか?著者のバックグラウンドである教育学の世界においてさえ、生徒の理解力が均一だと考える教師などいないのではないか。
「はじめに」にもある通り、本書にはありきたりのことしか書かれていない。サイエンスとして知的興奮を覚えるような内容はほとんどなかった。読んでいてワクワクしないのだ。
読む価値があると思ったのは、様々な心理学的形質に対する遺伝と環境の比率のデータ(第2章)と、「経済ゲーム」も遺伝子の影響を受けているという話(第5章)くらいだった。文献リストが付いている点は評価できるが。
第6章において著者の思いの丈が開示されるのだが、結局何を主張したいやら、一向にメッセージが伝わってこなかった。
また、第4章で、環境を4つのカテゴリーに分類する意味も分からない。
さらに、「バート事件」から語り始めるという本書の構成自体が良くない。
著名な心理学者である英国のシリル・バート(Cyril Burt, 1883–1971)は、多数の双子間で知能検査のスコアの相関を調べ、知能が遺伝子の影響を受けていることを示した。「バート事件」とは、バートの論文が実は捏造だった、というお話である。著者は、バートが捏造したという業界の定説を覆そうとして躍起になっている。しかし、この事件は心理学業界では有名かもしれないが、それ以外の人はほとんど知らないだろう。
だから、それが捏造であろうとなかろうと、大部分の人に取ってはどうでもいい話だ。
とはいえ、相関係数が3桁目までピタリと一致しているということは、やはり捏造はあったのだろうと思う。でも、捏造だったとしても、それは「知能が遺伝する」ことの否定にはならないわけで、これは本質的ではない不毛な議論なのだ。
本書で批判されている『オオカミ少女はいなかった』(鈴木光太郎著)の該当部分を読み返してみたが、鈴木氏の論説の方が説得力があるし、ずっと面白いと思った。(16/05/18読了 16/06/21更新)