読書日記 2016年

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メタファー思考 瀬戸賢一 講談社現代新書 ★★★☆☆

言語学の教室』(西村義樹×野矢茂樹)に出てきたメトニミーの話が面白かったので、読んでみた。

メタファーといっても、文学的な華麗なメタファーだけを連想してはならない。本書の「メタファー」が指し示す意味は、相当に広い。すぐ前の文章の「指し示す」「広い」も、本書に従えば、実はメタファーなのだ!
メタファーを含まない文章を書くのはほとんど不可能と思えるほど、メタファーは日常的なものである。

そしてこれらのメタファーは、ほとんどの場合、そのまま英語に直訳してもまったく同じ意味をなす。日英間で、きわめて密接なメタファー対応が成り立つのだ。それはなぜかというと、メタファーというものは人間の認識の仕方そのものを反映しているからだ。
このような視点は、英単語の意味の広がりを考えるときに役立ちそうだ。本書では議論されていないが、英語以外の言語でも、同じような対応が見られるはずだ。

人間の感覚は圧倒的に視覚優位なので、メタファーの中でも視覚表現のメタファーが他を圧倒している。「大きな音」なんていう、一見何の変哲もない表現までがメタファーだ。つまり、「音」は聴覚表現だが、「大きな」は視覚表現なのだ。
「から」という助詞さえ、メタファーだ。「場所の起点」が元の意味で、「時間の起点」や「材料」、「原因」はメタファーだという。こんなのまでがメタファーだなんて、考えたこともなかった。

最後に付録のように付けられている、メタファー(metaphor、隠喩)、メトニミー(metonymy、換喩)、シネクドキ(synecdoche、提喩)の解説が面白い。
「月見うどん」はメタファー、「きつねうどん」はメトニミー、「親子丼」はシネクドキ。「たい焼き」はメタファー、「たこ焼き」はメトニミー、「焼き鳥」はシネクドキ。
メトニミーは、隣接関係に基づく意味変化である。「お手洗い」は時間的な隣接関係に基づくもので、これもメトニミー。シネクドキとは、類で種を表す、あるいは種で類を表す意味変化のことである。(16/07/31読了 16/11/23更新)

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