Home > 旅の写真集 > 知られざるインド北東部の旅
2.カルビの国・前編
カルビと言っても肉ではない。それは、アッサム州に住む少数民族の名である。
カルビの国は Karbi Anglong といい、Karbi Anglong Autonomous Council という独自の議会をもつ。首都はDiphu(ディフー)である。
2011年のセンサスによれば、カルビの人口はインド全土で52万人。うち42万人がカルビの国に住む。
カルビの人たちは、強固なアイデンティティを保持しているように見える。
カルビ語は、子供の世代に継承されているようである。
ただし、若い世代ほど英語が上手なのは、どの民族でも共通している。カルビの国を離れた若者にとっては、カルビ語は語彙が足りないらしく、会話に英単語がポンポン混じる。そのため、カルビ語をまったく知らなくても、何について話しているのかわかってしまう。
また、興味深いことに、年配の人であっても、数詞はすべて英語で置き換わっている。カルビ語の固有数詞もあるのだが。
カルビのシンボル、Jambili athon。5本の柱は5つのclan(氏族)を表す
昼過ぎにカジランガ国立公園を出発し、未舗装の道路に脳をシェイクされ続けること6時間。
夜、ディフーにあるホームステイ先のお宅に到着。これから、この家に4日間ほど居候させてもらうのだ。
「インド=暑い」と思い込んでいたので夏服ばっかり持ってきていたが、意外に寒い。東京とそれほど変わらない。
それでいて、暖房器具が焚き火しかないのだ。家が開放感溢れる造りになっているため、寒くて仕方がない。風邪は一向に治らない。
翌朝。
まずは、ディフーの市場に連れて行ってもらった。ここは、非常に刺激的で面白い。
カルビの国の衝撃映像その1──蠢くイモムシ(閲覧注意)。
調べてみると、これはエリ蚕(Eri silk, Samia ricini)というカイコの一種らしい。蚕になる直前の終齢幼虫のようだ。
そう、彼らは昆虫を食べるのだ。雨期には、ジャングルで採れるアリの卵を生食するらしい(今は乾期なので、残念ながら手に入らない)。
アッサムでは今でも養蚕が盛んだ。このカイコはもちろん、食用だけでなく絹を採るためにも飼われている。
調理法は、熱湯で茹でてから、フライパンで炒める。
後日、調理してもらった。
昔、ミャンマー料理店でイモムシの唐揚げを食べたことがあるが、川エビの唐揚げのようなサクサクした食感だった。
こちらはもっと身が詰まっていて、モチモチした食感。味付けはスパイシーで悪くない。でも、メンタルにダメージを受けるため、あまりたくさんは食べられるものではない。
カルビの国の衝撃映像その2。
籠の中に、たくさんのニワトリが詰め込まれている。注文があると、まず秤で重さを計量。しかるのちに、やおら頸動脈を掻き切る。そして、血抜きをして羽をむしるのだ。
これほどむざむざと殺されるに任せているのを見ると、確かにニワトリは家畜なのだ、と思う。しかし、いくらなんでも、生物としての本能を失いすぎなんじゃないだろうか・・・。
それから、Arboretum Cum Craft Center という名の、カルビのテーマパークに行く。といっても、中身はただ公園で、これといって見るべきものがあるわけでもない。
インドではどこに入るのにも外国人料金が設定されていて、インド人の10倍くらいの金額をふんだくられる。最初、インド人料金で入場したのだが、そろそろ出ようかという頃になって係員が近づいてきて、外国人料金を請求された。
ここは去年の夏にオープンしたばかりなのだが、私は、開園以来最初の外国人客だったらしい!それで、係員もどう対処すればいいかわからなかったらしい。
カルビのテーマパーク、Arboretum Cum Craft Center
スターバックス?これは、カルビの人たちに最初に機織りを教えた女神
家に戻ると、親戚が集まっていた。ささやかな宴会が始まった。
彼らは閉鎖的な社会に生きているが、親戚づきあいをとても大切にする。そして、人生を楽しむ方法を知っているのだ。
カルビ料理は大変美味しく、日本人の口にも合う。有り難いことに、彼らの食べる米はインディカ米でなく、stickyなジャポニカ米なのである。
米から作った酒もある。彼らは「ライスビール」と呼んでいたが、アルコール度数は非常に高そうだ。
彼ら、丘陵地帯に住む hilly tribe は、平地に住む plain Indian の食べ物(いわゆるカレー)は口にしない。
つまり彼らは、伝統的な食生活を保持している。にもかかわらず、年配の人たちはみんな肥満している。老若男女を問わず、日本人からすると信じられないほどの量の米を食べる。彼らは米を食べ過ぎなのである。
その日の夜、遠い親戚の結婚披露宴があった。自宅の庭に特設会場を設け、何百人もの招待客を呼んで盛大に行われていたから、かなり裕福な家庭なのだろう。
ゴージャスなな料理が振る舞われたが、もう何も胃に入らなかった。風邪のせいでロクに食べられなかったのがつくづく残念だ。
(つづく)